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高山彦九郎生誕の地、細谷

高山彦九郎生家跡・遺髪塚

生家跡は現在畑になっていて北側に井戸跡を残すのみとなっている。この土地は彦九郎の祖父である貞正が異母弟の蓮沼伊右衛門政重に家督を譲り、母方の高山姓を名乗って分家したのが始まりとされている。南側に彦九郎の兄専蔵の住居、北側に彦九郎の住居があった。遺髪塚は、隣設されている高山彦九郎記念館西側の墓地内にある。

◎交通アクセス

 群馬県太田市細谷町1324-7

 東武伊勢崎線細谷駅から徒歩で約10分

 東武伊勢崎線太田駅前からタクシーで10~15分

高山彦九郎終焉の地、久留米

高山彦九郎終焉の地(饅頭塚)

寛政5年(1793)6月19日森嘉膳宅を訪ねてきた彦九郎は心身ともに疲れ切った状態で旅行記や人に送ってもらった詩歌を破り捨てるなど、逆上気味であった。そうして同年6月27日歌人の目を盗んで割腹した。

辞世の句「朽ちはてて身は土となり墓なくも心は国を守らんものを」

◎交通アクセス

 福岡県久留米市東櫛原町1408-4

 西鉄「櫛原」徒歩5分

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